人が何かを「見る」という行為について、その探求をさまざまな方法で可視化する村本剛毅さん。偶然同じ対象を見たもの同士が、互いの視界を共有できる独自のシステムを構築し、体験型インスタレーション作品『Lived Montage』の初公演を目指します。

アドバイザー:森田菜絵(企画・プロデューサー/株式会社マアルト)/山川冬樹(美術家/ホーメイ歌手)

異なる形式を巡ってステップアップ?

―最初にデモ版を体験しました。今回は映像の切り替えのタイミングに体験者各々の心拍を使うため、ヘッドマウントディスプレイ(以下、HMD)と同時に聴診器も装着します。HMDはシンプルな木箱で覆われ、システムもビジュアルも前回からさらにブラッシュアップされています。対象物として、長机には置かれたりんご、ワイングラス、丸テーブルで編み物をする人の3つが選ばれました。暗室の中、それぞれがスポットライトで照らされています。前回よりも人数を増やして30分程度体験した後、場所を変えて面談の時間が設けられました。

デモンストレーション体験の様子。アドバイザーの2人をはじめ、事務局スタッフも参加した。

山川冬樹(以下、山川):切り替わりのタイミングですが、心拍以外の、机を叩く音などにも反応していましたね。

村本剛毅(以下、村本):心拍は聴診器にマイクを入れているだけなので、周囲の音に誤って反応することがあります。

山川:以前の面談のあとに演劇を対象とした実験を見せていただきましたが、HMDを装着したまま空間を歩いて回るのは怖くて、慣れるまでは感覚のズレを補正するのに頭を使いました。今回、見る対象がテーブル上に限定されたことで歩く必要がなくなり、より純粋に「見る」ことに集中できたように思います。とはいえ、演劇を対象物とするのも、今回のような見せ方も、どちらもそれぞれ可能性があります。例えば順路をつくり、最初はテーブルの部屋、次は演劇の部屋……というように、複数の部屋を巡るのも一つかもしれません。

森田菜絵(以下、森田):まずは今回の形式で体験して、そこからステップアップするような構成ですね。今回のものはある意味で初心者向けですし、いいと思います。

内在するリズムが拠り所に

山川:前回のようにあらかじめ設定された秒数での切り替わりだと、暴力的に視界を切り替えられているような感覚がありましたが、心拍による切り替わりになったことでそれが一切なくなりました。前回より参加者も増えて複雑化したところがあるにもかかわらず、より自然な安定感がありました。

村本:心拍になると、入り込んでくる他者の視界もよそよそしくなくなる気がしています。切り替えのタイミングに心拍を用いるのは、構想時からのアイデアでした。またこの作品における関係性は、「自分」「他者」「(複数の)対象」の3つで捉えてもらいたいので、知覚の形態を現実的に実現しているコンピューターの存在には一旦影を潜めてほしい。「外部にある自律的なリズム」は4つ目の項を作ってしまい、そこにコンピュターの存在感が出てしまいます。構想通り心拍を使うことでむしろ作品がより素直になった感覚があります。

森田:その3つの関係に集中するには、今回の形式は適していたと思います。見せ方がシンプルですし、人に触れたりものに触れたりするときに、ちょっとショッキングというか、ゾクっとしました。切り替わりが心拍とつながっているということが実感できた瞬間もあって、グッときましたね。

村本:日常なら、パースペクティブと自分の空間的位置の辻褄が、その視覚を所有する重要な拠り所になりますが、この作品では視点は私の位置に留まらない。それでも、「これが自分の視覚だ」と思えるのは、この作品のルールによってイメージがこの私の時間、意識の連続のもとで生きられているからで、その意味でも自分の身体のリズムが視覚に乗り続けていることはよい補強になっているのかもしれません。

他者の身体と自分の身体が重なる

山川:おっしゃるように、自分の視界と他者の視界を判別する意識は、体験しているあいだ、常に働いていました。とりわけ今回強烈だったのは、幻肢に近い感覚を覚えたことです。今回の形式になって、自分の身体(手)が自分の視界にすごく映り込むようになったのですが、カメラ(HMD)と自分の身体の位置関係は、体験者皆共通していますよね。僕はりんごを見たときに、左手をテーブルの上に置いていたのですが、すぐ隣の人も左手をテーブルに置いてりんごを見た。するとその人の視界に切り替わっても同じ位置に手があるのです。誰かがその人の手に触れたら、自分の手が触れられたような感覚がありました。

村本:私は自分の身体が映り込んでいなくても、それを感じています。実験していると楽しくて、対象に触れたくなるのですが、むしろ触れている時に顕著になる感覚が、ただ眺めているだけの時にも存在することを見逃したくない。やはり、見る対象を手放さずに考えていきたいです。おそらく、山川さんがその幻肢的な感覚を抱いたのも、そこに見る対象としてりんごがあったからだと思うのです。「私がりんごを見ている」、もっと言えば「私がこれ(対象)を考えている」、その対象が視界の中で連続しているからこそ、幻肢的な感覚も生じるのではないかと思います。

森田:システムの問題はどうしてもありますね。先ほど、心拍との同期が感じられた瞬間があったと言いましたが、システムが安定してきてようやく、ほんの数秒のことでした。ただ、その瞬間はとてもドラマチックでしたよ。

視覚のセクシーさに気づかせる装置

山川:四肢を使わずとも、究極的には幻肢に通じる感覚に至ることができる。それはやはり、村本さんの感覚的想像力の豊かさがあってこそです。幼い頃からあったそういう感覚を、人と共有するために作品をつくろうとしているわけですよね。しかし村本さんのその感覚に観客が入り込むために、手の存在は、きっといい手がかりになると思います。特に今回は他者との境界が消滅するような感覚が強くありました。以前の体験よりエロティックでしたね。バタイユ(フランスの哲学者)によればエロティシズムの真髄とはつまるところひとつになることらしいですが、どこか少し照れてしまうような、セクシーな作品になったなぁと感じました。

森田:触覚的な触れ合いではなく、互いが持っている認識の方法のようなものを交換した感覚がありましたね。なんと表現したらいいのか……exchange?

山川:exchangeの要素ももちろんあるけれど、ひとつに混じり合うような感じもあります。

村本:セクシーという表現、とてもわかります。「ひとつになる」という表現を使うなら、私の感覚では、この作品によってひとつになるわけではなく「ずっとひとつだったのですよ」と気付かされる感じです。

山川:村本さんの視点で見ると、日常はこんなにセクシーなのですね。

村本:人と同じものを一緒に見ているだけで、この作品で体験するような感覚を抱きます。程度は異常かもしれませんが、共有できると思っていますし、共有したいです。2月の成果発表では、よりシステムが安定した状態で、今日のようなデモ展示ができればと考えています。

森田:成果発表以降の発表の予定はありますか?

村本:まだ計画できていませんが、山川さんがおっしゃったような、複数の空間を巡る形式でやってみたいです。どこかいい場所、ご存知でしょうか。

山川:アート関係者に認知されている場所がいいでしょうね。合いそうな場所、いくつか候補を挙げられると思うので、またご共有します。

森田:発表の期間よりも長く会場を借りて、実験の場にするのもいいと思います。このプロジェクトは、面白いエッセンスはたくさんあるけれど、村本さんが話さないと伝わりづらい部分もあります。設営などの準備期間から会場を公開して情報を発信するなど、広報に活用してみるのもいいかもしれません。(*1)

―2月の成果発表やその後に向けて、システムや見せ方のブラッシュアップが続きます。

*1 ……アドバイザーからのアドバイスにより、2月末の個展開催に繋がりました。

2月24日(金)〜2月26日(日)まで 3331 Arts Chiyoda B106 にて、村本 剛毅 個展「Le montage vécu」を開催。
会期:2月24日(金)〜2月26日(日)
時間:12:00〜20:00 ※26日(日)は19:00まで
会場:3331 Arts Chiyoda B106(東京都千代田区外神田6丁目11-14)
料金:無料
詳しくはWebサイトをご覧ください。
https://www.3331.jp/schedule/005861.html