9組のクリエイターによる成果プレゼンテーションが、「ENCOUNTERS」というイベントタイトルでGinza Sony Parkにて2019年3月1日(金)〜3日(日)に開催されました。採択企画の紹介展示の他、3月3日(日)には国内外の採択クリエイターとアドバイザーによるトークイベントも実施しました。
今回は国内クリエイター創作支援プログラムで制作を行った内田聖良さん、佐々木遊太さん、アドバイザーを務めたアーティスト/多摩美術大学教授の久保田晃弘氏と、マンガ家/神戸芸術工科大学教授のしりあがり寿氏による「制作におけるリサーチとは何か?」をテーマとしたトークの様子をお伝えします。
「店」という形式をとりながら、ポスト・インターネット時代の身体から生まれる「民話」的フィクションをつくるプロジェクト『ちいさいまよい家(が)/ちいさいまよい家(が)のために』を展開した内田聖良さん。また佐々木遊太さんは、お笑い芸人「ダチョウ倶楽部」の代表的な芸「どうぞどうぞ」をリサーチするアートプロジェクトに取り組みました。
内田 聖良
ネットアート作品『余白書店』が第18回文化庁メディア芸術祭アート部門審査委員会推薦作品に選出されるなど、今あるものに新たな可能性を見出し続ける内田聖良さん。今回採択された企画『ちいさいまよい家(が)/ちいさいまよい家(が)のために』(仮)は、「店」という形式をとりながら、ポスト・インターネット時代の身体から生まれる「民話」的フィクションをつくる試みです。
佐々木 遊太
特定の知識を要する鑑賞状況のみで成立するような表現ではなく、多様な人々に開かれた表現メディアの創出を目指して作品制作をしている佐々木遊太さん。今回採択された企画は、自身も尊敬する日本のお笑い芸人「ダチョウ倶楽部」の代表的な芸、通称「どうぞどうぞ」を、構造の理論化とそれに基づく制作とのフィードバックを繰り返しリサーチするアートプロジェクトです。佐々木さんが制作テーマとする、狭義のメディア表現の分野のみならず多くの方々に受容される「鑑賞者の知識や背景を問わないおかしみ」を創出するための知見を蓄積することを目的としています。
作品制作のリサーチについて考える
久保田晃弘(以下、久保田):まずは、プロジェクトの紹介をお願いします。
佐々木遊太(以下、佐々木):今回この支援プログラムに採択されたのは、お笑いトリオ、ダチョウ倶楽部の代表的な芸である「どうぞどうぞ」をテーマとしたプロジェクトです。そもそも、それがわからないという方、いますか? あ、いらっしゃいますね。「じゃあ俺がやるよ!(挙手)」
内田聖良(以下、内田):「じゃあ俺がやるよ!(挙手)」
しりあがり寿(以下、しりあがり):「……じゃあ俺がやるよ!(挙手)」
佐々木・内田:「どうぞどうぞ」
佐々木:……という、わずか15秒程度の芸の中で起きていることを理解するために、リサーチと実装を繰り返すというプロジェクトです。ちょうど今、京都でこの作品を中心に個展をしているため、この会場には作品の実物を展示できていません。代わりに、作品に関連するデータを全てフォルダにまとめて、デスクトップに置いたPCを用意しました。データはUSBなどにコピーしてお持ち帰りいただけます。
内田:私のプロジェクトのテーマは現代の民話です。昔の民話は、ただの物語ではなく、コミュニケーションの道具としての機能があったと考えています。その機能のひとつとして、事実を人に言いづらいような話を、柔らかく抽象化することで伝える役割を担っていたと。
今、SNSを通して、ふと呟いた独り言が瞬く間に広まってしまうなど、常に他者の顔色を窺わなければならない、抑圧された状況があります。そんな現代において、民話が持っていた抽象化する機能が再び役に立つのではないかと考えました。
今回展示しているのはプロトタイプです。メインのモニターにいる3DCGのキツネは、Vtuber(*1)となった私です。フリマアプリでやり取りされる中古品から紡いだ物語を話しています。その周囲には物語に登場する品や、使い古された日用品をインスタレーションしています。
久保田:この支援プログラムでは、採択されたクリエイターは我々アドバイザーとのディスカッションを数回行います。技術的なアドバイスはもちろん、なぜその作品をつくるのかなど、考え方についてもたくさん話をしました。その中でお二人に共通していたのは、制作過程においてリサーチを重視する姿勢でした。今回のトークは「制作におけるリサーチとは何か?」をテーマにしてみたいと思います。一般的にリサーチというと、研究者や学者がしているイメージがあると思いますが、実は美術作品をつくる上でも重要な行為です。
お二人がリサーチというものをどう捉え、どう取り組んで来たのか、具体的にお聞きかせいただけますか。
佐々木:僕は、PCを使ってできそうなことは全部やる、というスタンスで制作しています。メディアアートと言うよりは「フリースタイルメディア表現」などと呼ぶ方が自分の活動にはちょうどいい気がしています。プロジェクトの進め方としては、例えばまずは映像をつくることを通して理論を深め、次にその理論を実世界に落とし込むためにデバイスをつくるというように、実装と理論とを揺り戻しながら、深めたり脱線させたりして進めてきました。
久保田:佐々木さんが今回のリサーチで見出したダイアグラムについて、説明していただけますか?
―モニターに「どうぞどうぞ」の構造を表すダイアグラムが表示されます。
佐々木:リサーチの中で、「どうぞどうぞ」の過程にある感情や状況の変化は、「手を挙げる」というたった一つの動作の繰り返しで引き起こされていることに気づきました。ダイアグラムに記載された複数の「( )」内のすべてに「手を挙げる」と入れると、「どうぞどうぞ」になります。
この構造が見えたことで、その動作を別のものに置き換えるという発想が生まれ、実装したのが、デバイス《牛を吸うUFO》です。「手を挙げる」を「牛を吸う」に置き換えました。
久保田:内田さんはいかがでしょうか。内田さんは、民話を独特の捉え方で解釈していますが、同様に、解説文の中でキーワードとして挙げている「店」についてもお聞きしたいです。どう捉え、プロジェクトを構築してきたのでしょうか。
内田:場を「展覧会」、扱う物を「作品」と呼ぶことで変に敷居が高くなったり、説明が必要になったりすることに違和感を感じて、より自然な形式として以前から使っているのが「店」です。
私の別のプロジェクトに、古本を扱う「店」があります。本に残された書き込みなどを、読者のファブリケーションとして捉え、そこに価値付けして販売する『余白書店』というプロジェクトです。「店」と名乗ることで、アートに興味のない人からも気軽に反応がもらえます。ただ『余白書店』は面白がってもらえてはいるのですが、なかなか売れません。人の痕跡の残る中古品は生々しすぎて、もう一手間加える必要があるのだろうと、次の手を考えていました。
今、私は秋田県に住んでいますが、東北は民話が数多く残されています。調べてみると民話では、物のやりとりを通して人の優しさや意地悪さを表していることに気づきました。感情や内面を説明せずに、そうした単純な行為を通して物語全体として複雑な感情を表現するのです。店や中古品を扱っていた別のプロジェクトがまずあり、そこで得た課題から繋がったのが民話です。
プロジェクトや作品制作の、その先にあるもの
久保田:ちょっと難しい質問かもしれませんが、このプロジェクトはいつ終わると思いますか?
佐々木:今回の場合は、個展会場にダチョウ倶楽部ご本人たちが現れて、作品と一緒に「どうぞどうぞ」をするようなことが起きたら、そのときは「完」と感じられるのではないかと思いますが……。
しりあがり:なるほど。確かにそれは一つの終わりかもしれませんね。一般的な研究では、結論に向かって物事を定義し、要素を集約していきます。対して、お二方の場合は、どんどん拡散していきますよね。研究を通して独自のものが育まれている。そう考えると、僕は終わらせることの方が不自然な気がします。
佐々木:おっしゃる通りです。今回のプロジェクトの見取り図をつくりましたが、この図にどんどん要素を増やして、拡散させていくことが楽しかったです。同じ理論をもとにしても、扱うメディアでポイントは変わります。例えば、映像では時間軸を意識するので時間にピントが合う。デバイスの実装ではものの振る舞いを扱うので、コミュニケーションにピントが合う。制作からフィードバックされる内容もメディアによって変わり、それを受けてさらに拡散するのだろうと思います。
久保田:一般的な研究には社会的な役割もあり、結果や評価軸は必須です。対して佐々木さんも内田さんも、確かにリサーチはしているけれど、結果をどう判断するか、評価するかが難しい。重要なのは結果ではないのだろうと思います。リサーチの広げ方として、佐々木さんにぜひ考えてほしいのは、「どうぞどうぞ」と同じ構造を持っているものを、既存のものの中から探すことです。実は100年くらいのスパンで見ると、森のエコシステムと同じだったりするかもしれない(笑)。
佐々木:なるほど。理学者の郡司ペギオ幸夫さんの「ダチョウ倶楽部モデル」(*2)しかり、そういう観点からリサーチすると、これまでの方向性とは逆の方向に広がりそうです。
しりあがり:僕は内田さんの話を聞いていて、ビックリマン(*3)を思い出しました。商品に付与した物語を販売促進につなげていて、内田さんの興味とも重なる部分がある気がしますが、ご自身では意識されていますか?
内田:商品化することや販売促進のために編み出された手法で使える部分を利用していきたいと考えています。今回のプロジェクトにとっての物語は、事実を言いづらい、共有しにくい話です。私は福島県の帰還困難区域でフィールドワークをしていますが、当事者とそうでない人の共有できるポイントをどこに作るかが課題に感じました。福島はその問題が目立つ例ですが、「オルタナティブ・ファクト」など様々な分断が国や個人のレベルで起きている中で、フィルターのかかりやすい言葉を使わずに、抽象化することで、他者と自分の経験が重ね合わせやすく共感しやすいものになるのではないか。そのための物語です。商売が成り立つようにもしたいのですが、自分にとっての面白さを優先させると、利益の出なそうな方向にいきがちです(笑)。
佐々木:僕も面談で、自身の身の振り方を相談したときに「従来の経済とは違うお金の流れをつくる人になるのはどうか」とアドバイスいただいたのを思い出しました。とても腑に落ちたのですが、実際のところ、どうしたらいいのかは僕もまだわかりません。
俯瞰することとディティールを見ることは表裏一体
内田:私は佐々木さんのお話を聞いて、物事の俯瞰の仕方について伺いたくなりました。どのように物事を捉えたら、あのダイアグラムのような俯瞰ができるのでしょうか。
佐々木:俯瞰するためにつくっているのかもしれません。つくればつくるほど俯瞰できるというか……。
久保田:前にお話ししていた、「0.8秒の発見」の話をしていただけますか?
佐々木:0.8秒というのは、今回のリサーチで発見した数値です。実際の「どうぞどうぞ」では、その全体の長さはまちまちですが、最後に竜ちゃん(上島竜兵)が「俺がやるよ!」と言ってからあとの二人が「どうぞどうぞ」と言うまでの間隔は、決まって0.8秒なのです。これはおそらく、彼らが修練を積み重ねて導き出した答えなのではないか、と思います。
久保田:俯瞰しようとすることで、見えてくるディティールもあります。今の話はその往還が実際に起きたよい例でしょう。今回のプロジェクトで、内田さんは展示にディスプレイを使ったかと思えば、その横に中古品のトートバッグが置いてあったり、指向性スピーカーも使えば、Vtuberやフリマアプリのような既存のサービスも駆使していたりする。佐々木さんもフリースタイルメディア表現と自称して、実にさまざまなものやスキルをフル活用している。さまざまなものが一元化されていて、二人の作品にはなんでもできる今の時代性が象徴されています。と同時にそれは美術の自由さを体現しているということでもあります。
しりあがり:僕はさほどアートには詳しくないのですが、二人の話を聞いて、アートって面白いなと改めて思いました。終わりがなくて、むしろどんどん広がっていく。その思考のダイナミックさと、かたちにしていくプロセスが本当に面白かったです。
久保田:お二方とも、今後もプロジェクトを継続していただいて、ぜひまた発表の機会を設けてください。佐々木さんは今まさに個展中ですが、内田さんも、展示の予定があるのですよね?
内田:2019年5月に東京のスパイラルで開催される、SICF(スパイラル・インディペンデント・クリエイターズ・フェスティバル)の受賞者展に、さらにアップデートしたものを出展予定です。見に来ていただけたら嬉しいです。
*1 Vtuber……「バーチャールYouTuber」の呼称。YouTuberとして動画配信・投稿を行うコンピュータグラフィックスのキャラクター。
*2 「ダチョウ倶楽部モデル」……郡司ペギオ幸夫『群れは意識をもつ』の中で説かれている、群れの行動を示すモデル。
*3 ビックリマン……ロッテのチョコレート菓子。おまけとして封入されている、ストーリー性とゲーム性を取り入れたシールが大ヒットした。