貼り絵、切り絵などを駆使したアニメーション作品を制作している、アニメーション作家の土屋萌児さん。文化庁メディア芸術祭では、ミュージックビデオ『青春おじいさん』が第20回アニメーション部門で審査委員会推薦作品に選出されています。今回採択された企画は、日本の感覚の一つである「主体と客体の曖昧さ」を軸に『耳なし芳一』を描く短編アニメーション。亡霊や幻などの実態のないものが現実にもたらす影響について思考を巡らせる作品です。
アドバイザー:森まさあき(アニメーション作家/東京造形大学名誉教授)/山川冬樹(美術家/ホーメイ歌手)
絵コンテで全体像を確認
土屋萌児(以下、土屋):初回面談後は、絵コンテを書いてイメージを具体的なかたちにしていきました。また、芳一が住んでいたといわれる赤間神宮(山口県下関市)へ取材に行ってきました。
―絵コンテを見ながら面談が進みました。
土屋:前回、森さんから『空也上人立像(くうやしょうにんりつぞう)』(京都・六波羅蜜寺蔵)(*1)というヒントをいただきました。本来『平家物語』は語りがメインなので、空也立像のようにさまざまなイメージが口から出てくるような描写も効果的に使いたいです。
壇ノ浦の合戦のシーンで、船から船に飛び移っていくところでは、どんどん新しいイメージが生まれてきて画面がカオスな感じになっていきます。昔話の中で違う物語が広がって、鑑賞者が迷子になってしまうような幻想的な展開をイメージしています。
序盤では琵琶の名手である芳一のかっこいい姿を描きますが、中盤では、目の不自由さや居心地の悪さなど、芳一の不自由な部分も描きたいと思っています。芳一が人間の世界と亡霊の世界の狭間にいるように描くことで、芳一が心の中で葛藤を抱えていることを表現したいです。また、山川さんにお借りした永田法順(ながたほうじゅん)さんの資料を参考に、檀家さんの家を回って祈祷するシーンを入れようと思っています。
終盤の、芳一の体にお経を書くシーンでは、体に字が書かれる感触を、抽象的なアニメーションで表現したいです。その後、嵐の夜に亡霊が来るのをひとりで待っているシーンでは、「ほういち、ほういち」と呼ぶ亡霊の声から芳一の妄想が増幅し、暗闇の中でさまざまな音楽や声が聞こえてくるような画面になります。この場面の音楽は、立体的な音の広がりを意識しながら、即興的につくりたいと思っています。心臓の鼓動音も使って、芳一のドキドキ感を演出する予定です。そしてイメージの中で裸にされる芳一に、般若心経の音が重なっていきます。自分と向き合うことと亡霊から逃げることが混じりながら、意識の中で宇宙へと向かっていきます。自分の存在が曖昧になりながらもどんどん逃げていく芳一を描きます。
実は、この般若心経の音声を山川さんにお話ししていただけないかと考え、先日、出演の依頼をしました。
最後の耳を取られるシーンは、残酷になりすぎないようにして子供でも見られるようにしたいと思っています。そして、一連の物語が全て耳に包帯をした芳一が語っていたことだった、というラストにしたいと思います。
*1 空也上人立像(くうやしょうにんりつぞう)……平安時代に活躍した僧侶の像。口から6体の阿弥陀仏が現れている。
入れ子になる展開
土屋:取材した赤間神宮には資料館があり、琵琶や『長門本平家物語』(室町時代に書かれた平家物語の本)、壇ノ浦の合戦を描いた屏風絵などが展示されていました。ここで得た知見を踏まえながら、入手可能な材料を使って自作の琵琶をつくりました。
土屋:この自作した琵琶を使って、作中の琵琶の音を自分で演奏する予定です。赤間神宮は、音楽を担当してもらうSUGAI KEN氏も別の日に取材に行っています。
山川冬樹(以下、山川):語りの名人の語りには、口からいろんなイメージが吐き出され、それが聞き手を飲み込んでいくようなところがあります。空也立像のイメージは、そうした描写にぴったりだと思いました。最近ではコロナ禍ということもありオンラインで映像配信することが増えましたが、映像ではアウラ(*2)が失われてしまうことに対して、僕は実演者として常に葛藤があります。土屋さんは複製技術である映像の一コマ一コマに、アニメーションという方法でアウラを吹き込み直す作業をしているのだと思います。その技術が「アニメーション」の語源である、生命のないものに命を吹き込んで動かすというレベルを超えて、僕らが物語の中を生きる際に感じる「いまここ」感を再現的に描き出すために使われはじめている印象を受けました。世界が入れ子になっていく展開も興味深いです。語りの中に芳一自身が飲み込まれてゆき、芳一の内観を見せるところなど、非常に豊かな作品の世界ができつつあると感じました。
*2 アウラ……複製、大量生産などによって芸術作品から失われてしまう一回性のもの。
作品のテーマが見えるように描く
森まさあき(以下、森):山口で取材したことで新たな方向が出てきたのが良かったです。過去の作品を拝見して、わからせようとしないところも土屋さんの作品の魅力だと感じていました。しかし今回、現時点ではややまともな方向にいきつつあると感じます。もう少し不自由なところが見えてもいいのではないでしょうか。その一方で、芳一が何から逃げているのかが見えた方が、作品が締まると思います。何かから逃げていることが作品の重要なテーマのようにも感じました。
土屋:芳一は承認欲求のバランスが崩れている状態で、認めてくれる人がたとえ亡霊でもよかった、という感じを描きたいと思っています。
森:視力が無く、最後には耳まで取られてしまう芳一。承認欲求の悩みは、現代の若者にも刺さるテーマだと思います。説教めいたものにする必要はありませんが、前半のごちゃごちゃした感じが後半でまとまってくると良いと思います。そうは言っても土屋さんの作品なので、おかしみのある表現も期待しています。絵コンテを見ると長くなりそうですが、全体の尺はどれくらいになりそうですか。
土屋:10分におさめる予定です。一旦整理してから、崩していきたいです。尺におさめるのはこれからの課題だと思っているので、ビデオコンテをつくりながら検討します。また、今後は目が不自由な方の視点をもう少しリサーチしたいと思っています。
山川:ヴェルナー・ヘルツォークが盲ろう者を撮ったドキュメンタリー、『闇と沈黙の国』(1971) を観たり、西洋美術史において画家たちによって描かれてきた盲者について、ジャック・デリダが書いた『盲者の記憶』(1998)を読んでみると良いかもしれません。見ることとは何か、ということがわかると思います。
―今後はさらにリサーチを進めながら、アニメーションの制作を行う予定です。