令和3年度採択者の成果プレゼンテーション展「ENCOUNTERS @ VisLab Osaka」を、2022年4月29日(金・祝)〜5月8日(日)の期間に、大阪の「グランフロント大阪北館 ナレッジキャピタル2F The Lab. アクティブスタジオ」にて開催しました。
会期中には、2つのトークセッションを開催。今回は、5月7日(土)に開催したトークセッション①の様子をレポートします。
関西を拠点にするメディア芸術分野のクリエイター・教育者をゲストに迎え、本事業「国内クリエイター創作支援プログラム」の採択企画のその後の展開や、メディア芸術の今とこれからについてお話を伺いました。
登壇者:金箱淳一(2016年度本事業採択クリエイター/神戸芸術工科大学 芸術工学部映像表現学科 准教授)/高尾俊介(甲南女子大学 文学部メディア表現学科 講師)/トーチカ(ナガタタケシ+モンノカヅエ/2011年度本事業採択クリエイター)/原久子(大阪電気通信大学 総合情報学部ゲーム&メディア学科 教授)/水野勝仁(甲南女子大学 文学部メディア表現学科 准教授)
原久子(以下、原):まず主催者の一つVisLab Osakaについてご説明させていただきます。VisLab Osakaは、さまざまな大学や組織の人たちが可視化(visualization)に関する研究開発を協働する団体です。
今回のイベントの経緯としては、3月に開催された東京・表参道ヒルズでの「メディア芸術クリエイター育成支援事業」の成果展示をみて「ぜひ関西でも紹介したい」と思ったのと、あわせて関西出身の過去の採択者のその後の活躍を紹介できる場になればと思い、文化庁に提案させていただき、共催という形で実現しました。今日のトークでは関西を拠点にするメディアアート関係者にお集まりいただきました。
それでは、みなさまどのような活動をされているのか、それぞれ10分ずつプレゼンテーションをお願いできますでしょうか。
共に遊ぶ楽器の楽しみ方
金箱淳一(以下、金箱):私は、神戸芸術工科大学で教員として働きながら、楽器の研究やヒューマンインターフェイスの研究をしています。
なかでも、障がいの有無を問わず誰もが遊べる「共遊楽器」と命名した活動についていくつかアプローチをしています。一つは、楽器のインターフェイスそのものを再考することで、より多くの人が演奏に親しめるものとしての取り組み。もう一つは、聴覚障がいをはじめとした方々も演奏表現ができ、音を楽しめるようにするという観点で、音を視覚的・触覚的な情報に変換する取り組みです。
2016年にこの国内クリエイター創作支援を受けて『楽器を纏う』という作品を作りました。みなさんが「楽器」という言葉で想起されるものは、ピアノやギターなど、硬いデバイスを想起されると思います。もし、楽器がどんどん柔らかくなって、身体と楽器との距離を0にしたときに、日常生活にどんなふうに楽器がインストールされるかを考察する実験的なプロジェクトです。こうした表現活動を継続してきたことで「東京2020パラリンピック」の閉会式のパフォーマンスで制作した楽器が起用されることにつながりました。
また、楽器を作るということだけでなく、制作した楽器の使い方をなるべく多くの人に考えて欲しいと思っています。そのためにもワークショップを開催し、多くの方に体験してもらって議論をする機会を作っています。実際に聴覚障がいの方に楽器を触ってもらい、これが楽器として、道具としてどうあるべきか。あらためて考え直す機会をもらいました。音楽とは音を耳で感じるだけではなく、目で見たり肌で感じることも含まれていると思っています。いろいろな感覚を持って同じ場を共有すること自体を音楽の楽しみ方の本質と捉えて、研究・制作を続けています。
創作コミュニティの継続的支援
高尾俊介(以下、高尾):僕は、普段はクリエイティブコーダーと名乗っています。役に立つこと、機能することを最初から目指さないプログラミングをしています。そのなかで2017年から『デイリーコーディング』という活動をしていて、作ったものをSNS上でシェアしたりしています。
活動の公開を始めたのは2019年3月からで、公開から3年くらい毎日続けています。一つひとつの絵は短いコード(プログラム)で描かれています。僕はもともとプログラミング専門の人間ではないんです。プログラミングをやりたいと思っていましたが何度も挫折しながら続けてきました。2015年に始めたプログラミングが、たまたまいい感じに続けられたのでオンライン上で公開したところ、作ったものに対してコメントをもらったり、それが改変されたりという形でコミュニケーションが生まれるということを経験しました。個人で始めたことが次第にソーシャルな活動になってきたことが楽しくて、これからも続けていって活動を広めたいと思っています。
もう一つ取り組んでいる作品『Generativemasks』は、デジタルのお面のプログラムをNFTアートとして公開したものです。全部で1万種類くらいあります。一つのプログラムのなかで1万種類のシード値(*1)を組み合わせることで、カラフルでいろいろなパターンのマスクを生成しました。
NFTは、誰が所有しているか、どう人から人に渡っていったかという来歴を保証するためにブロックチェーンの仕組みを用いています。近年は、自分がやっているようなコンピューターで生成されるアートがそういった仕組みと結びつき新しい表現を生み出しやすいため、NFTアートのジャンルの中で高く評価される機運があります。『Generativemasks』は販売から2時間くらいで完売して、現時点で総取引量が約2,900 ETHなので、今(2022年5月時点)はトータル10数億円くらい取引された実績があります。
今日はそういう表面的なところではなくて『Generativemasks』を通じて自分が実現したいと思っていることについて話したいと思います。このプロジェクトでは、クリエイティブコーディングのコミュニティの継続的支援を目指しています。NFTは、デジタルで、暗号資産で、胡散臭く思われる部分もある一方で、作品が流通していく中でロイヤリティ、つまり一定の二次収益を設定することができます。例えば、書籍が古本として売り買いされ流通したとき著者には1円も入りませんが、NFTの場合は作者に継続的に収益が入る仕組みをつくることができるということです。そういった特性を活かして収益をコミュニティに還元し続けることで、クリエイティブコーディングのコミュニティが発展して、魅力的で楽しいものになっていくことで、自身の創作活動に還ってくる循環を作ることが目的です。
*1 シード値……乱数を生成するときにあらかじめ設定する値のこと。
新しい鑑賞体験を常に考える
ナガタタケシ(以下、ナガタ):私たちはライトを使ってアニメーションを描く作品を18年ほど前からやっています。主にこの国内クリエイター創作プログラムで支援を受けた2011年からの活動についてかいつまんでご説明します。
まず、第10回文化庁メディア芸術祭(2006年)アニメーション部門で優秀賞をいただいたのが、『ピカピカ』という作品。長時間露光の仕組みで光を使って絵を描く。その光の線から、気持ちの高まりなど言葉ではないものが表れることに気づきました。
国内クリエイター創作支援で採択いただいた作品は、太陽光の反射を使って描く『ピカピカ2011 〜太陽光で描く〜』という企画です。2011年に東日本大震災があり、わたしたちが表現で使っている電気エネルギーに対して思うところがあり、電気を使わない表現に取り組むことを考えた企画でした。その後は、『PaTaPaTa』や『Ka-Ta-Ka-Ta』など、光のアニメーションから少し離れて、アニメーションと人が関わって何かを形にしていく参加型というところに視点を移しながら作品制作を続けています。
モンノカヅエ(以下、モンノ):2021年の展示になるんですが、山形県東根にある「まなびあテラス」にて「TOCHKA Playground 2.0 ー見えざるものと王子さまの旅ー」というAR技術を使った展示を行いました。ちょうどコロナ禍の自粛期間中で、会場にお客さんがあまり入らない状況だったので、人数制限をしながらでも見てもらえる工夫として、鑑賞者自身のスマートフォンを使って鑑賞できる作品を制作しました。
ナガタ:最近まで、ホテル「アンテルーム京都」でも「リーヴィング・アース Leaving Earth 」展で「TOCHKA Playground 2.0」を展示しました。展示自体をパッケージ化したので、今後ともいろいろなところで展示ができると思っています。他にも『STREET WRITER』という、3次元の空間に光で絵を描ける作品に取り組んでいます。スマートフォンを使ってAR空間に絵を描くことができる作品で、AR空間に描いた落書きのような絵をGPS情報とともにサーバーに残してアクセス可能な状態にします。そこに他者が触れて描き足すことのできるようなプラットフォームを作りたい。常に新しい鑑賞体験を作り出したいと考えています。
最近は改めて「メディアアートとはなんだろう」と考えていて、個人的な解釈としては「設計者の想定していない表現ができること」だと考えています。
強制的に意識に上げる試み
水野勝仁(以下、水野):私は普段は研究者として活動をしています。作家ではない立場からメディアアートはどんな刺激を与えてくれるかということをお話しします。今、私が注目しているのは「人間の認識自体の拡張」です。人間の無意識は、意識に上がってこないだけで、脳の中や身体全体でいろいろな情報をセンシングして処理しているというのが認知科学でわかっています。そういった、人間の意識に上らない部分の情報を扱ったアートというのがメディアアートでできる。もしくは既にできているということを考えています。
「「認知者」としての作品──エキソニモのUN-DEAD-LINK展を事例に」(日本映像学会『映像学』107号 p. 18-38, 2022)という論文では、エキソニモというメディアアートのユニットの個展「UN-DEAD-LINK展」(2020/8/18〜10/11, 東京都写真美術館)を事例にしました。この展覧会は、エキソニモの初期のインターネットアート作品からインターネット接続を切り、あえてインタラクションのない形で再制作した作品を展示したものです。
会場には壁が一つもなく、作品同士の音が混じり合って一つの作品に集中することが難しいんですが、そういった雑多な情報が人間の意識に影響を与え、作品の体験をあたらしくする面白さを見出すことができるということを書きました。アートの歴史の中でも、絵画や彫刻などで、人間が暗黙的に処理している感覚を意識に掬い上げるように明示的に表現して感覚をいい意味で騙す試みがありますが、コンピューターを使ってそれを強制的にできるんじゃないかと考えながら、これからのメディアアートを見ていくと面白いと思います。計算によって人間が感知できないことを可視化・可聴化したり、錯覚として表したりすることができるのではないかと考えています。
フィードバックを制作に活かす
原:みなさま、プレゼンテーションありがとうございました。それぞれのプレゼンで、気になったポイントとか、お互いに質問したいところはありますか?
高尾:金箱さんとは2006年に同じ大学院に入ってから15年くらいの付き合いなんですが、金箱さんの活動はすごく一貫していますね。金箱さんが最初に考えていたことが、これまでにどう変化してきたかをお聞きしたいです。
金箱:自分は大学院に入ってから楽器のような作品の制作を始めたので、最初はものづくりができなかったんです。大学院で作品を制作していて何より励みになったのは「フィードバックをくれる人がいる」ことでした。これは高尾さんの『デイリーコーディング』でも通じることだと思います。
高尾:自分は金箱さんと違って、これまで形になりづらい作品に取り組んでいました。『デイリーコーディング』は公開することも決めず、強い目的もなく始めたのですが、あるとき共有するようになったことで活動自体がすごく変わったことを実感しています。作り続けていく部分は共通しているけど、その先の進み方が違うと感じました。
水野:自分も、この前久しぶりに「査読付き」で論文を投稿したのですが、査読論文では意見のフィードバックが交換されますよね。なかには厳しいコメントもあったのですが、そのコメントによって論文が良くなることをあらためて感じました。
原:トーチカからも、この事業に採択された時にアドバイザーの伊藤有壱さんから「参加型のプロジェクトは、一つの作品として見せることが難しいのではないか」という指摘があり、そのことをずっと考えながら制作を続けて完成させたという話を聞きました。やったことに対して反応が返ってくることは、人間が何かを作るときに重要な要素だとあらためて感じます。
これからの創作活動と環境づくり
原:これまでの活動についてお話しいただきましたが、これからの創作活動や創作する環境づくりについてお聞きしたいです。
金箱:自分が15年くらい取り組んでいる「共遊楽器」は、制作の主体が自分でなくてもいいと思っています。今度行うワークショップでは、参加者のみなさんがグループになって楽器を制作するという内容なのですが、自分がやりたいのはその場での創作だけではなく「ものを作り続けるコミュニティ」自体を作っていくことです。ワークショップで得てほしいのは「ものを作った」という成功体験だけではなく、コミュニティに属したときに「自分はどの役割でコミュニティに貢献できるか」という糸口を見つけてもらうことです。それをきっかけにものづくりのコミュニティに繋がっていって、継続的に関わっていく人が増えていくことが理想です。最終的には僕ではない誰かが共遊楽器を作り出すようになれば嬉しいです。
高尾:自分が現在取り組むソーシャルなコーディングを考えたとき、決まった時間…、例えば大学での授業時間や、4年間の学業の中で完成するものではないと思っています。大学の中で何かをやるよりは、大学の外に学びを広げていくことが大切で、18歳〜25歳までの限られた日本の大学教育ではなくて、もっと幅広い世代の人たちが関わるコミュニティをどう形成し維持していくかが重要じゃないでしょうか。そういう創造的な活動を行うコミュニティをどう作ってどう広めていくかということを考えたいです。
モンノ:わたしはいま「Blender」(*2) を勉強していて、そのコミュニティがすごく楽しいんです。そのことしか考えられなくなっていて、夢にまで出るくらいです。コロナ禍になって、以前よりもネット上のコミュニティに入り浸っていて、今までの活動とは違った生き方をしています。そのコミュニティでの「みんな平等に表現していい」という感じが心地いいんです。わたしは「作家」という肩書きに縛られてずっと苦しいと思ってきたんですが、気軽に楽しみながら制作して発表することができるコミュニティがあって、どこにでも発表できるという環境がもっと加速していけばいいなと思っています。
水野:私もそう思います。研究者目線ですが、メディアアートはテキストを書く人が少ないのでぜひ言葉を残す人が増えてほしいです。私は展覧会を見にいくときに、全然知らない人がSNSに残した感想から興味を持つことが多いのです。私自身も、今起こっていることやインターフェイスの感覚を残しておけば、200年後くらいに役に立つんじゃないかと考えて文章を書いてきました。やはりどんな立場であれ書き残すことは重要だと思います。
*2 Blender……3DCGアニメーションを作成するための統合環境アプリケーション。
それぞれの目指すところ
原:ありがとうございます。最後に、みなさんにとってこれから目指すところについて一言ずつお話しいただけますでしょうか。
ナガタ:先程もお話ししたのですが、誰が発信したかというバイアスがない状態で、お互いに言いたいことを言い合えるようなプラットフォームを作っていきたいと考えています。
高尾:自分は、個人としてはあまり目的を持って何かを作っていないので、今やっている日々のプログラミングを続けながら、結果的に何かにつながるといいなと思っています。なので、特に大したことは考えていないのが正直なところです。今取り組んでいる『Generativemasks』をはじめとした活動にはある程度の責任が生じているとも感じているので、継続的な活動を目指してやっていきたいです。
文化庁には継続的に何かをしたいことに対して上がった声をちゃんと汲み取ってくれる組織であることを期待しています。そのためには表現者自身が、どういうことが起こっていて、なにが必要かということについて声をあげ、議論をして残す。それを文化庁などの組織に知ってもらうことで、結果的に活動を支える土壌が醸成されることに繋がるのだと思っています。
金箱:このプログラムで支援いただいた立場からの意見ですが、応募条件として文化庁メディア芸術祭で受賞したり審査委員会推薦作品として選出された作品であるという経歴が必要なのでハードルがものすごく高い。そうではない支援の枠組み、斬新なアイディアに耳を傾けるような姿勢が求められていくのではないでしょうか。草の根で活動している人の活動を拾い上げることも重要です。そうしたところから新しいアートの取り組みやプロジェクトが出てくるはず。もっといろんな人にチャンスがある仕組みができると嬉しいです。
水野:作品に対するスコープ・射程が年齢とともに狭まっている気がしているので、若い人の作品について自分がどう感じて、どう言葉にするのかというチャレンジは続けていきたいですね。それこそ、自分を拡張するということになるかなと思っています。
―次回は5月8日(日)開催のトークセッションの様子をお届けします。