文化庁メディア芸術祭において受賞作品や審査委員会推薦作品に選ばれた若手クリエイターの創作活動をサポートするメディア芸術クリエイター育成支援事業では、平成27年度の企画募集の締切が迫った2015年5月24日 に、アーツ千代田 3331にて、事業の紹介とクリエイターにとって必要なスキル向上のためのレクチャー「クリエイターが知っておきたい法律知識と制作支援の活用法」が開催されました。
二部制で行われたこの日のレクチャー。第一部「クリエイターが知らないといけない法律の基本のルール」では弁護士・水野祐氏(シティライツ法律事務所代表)が、第二部「メディア芸術クリエイター育成支援事業で支援を受けて」では、小松宏誠氏と水江未来氏が登壇しました。今回は第一部の模様をレポートします。
著作権法という法律に関するふたつのルール
―2011年に、渋谷駅構内に展示されていた岡本太郎の壁画「明日の神話」にアーティアスト集団のChim↑Pomが付け足しをした事件の弁護や、横浜トリエンナーレのサポート、株式会社ライゾマティクスやYCAM(山口情報芸術センター)の顧問、NPO Arts and Lawの代表、Creative Commons Japanの理事など、クリエイターや表現に対して法律面からサポートをしている水野氏。クリエイターやクリエイティブに関わる人なら知っておきたい著作権法の考え方を、例を交えながら紹介してくれました。
水野祐(以下水野):著作権全体に関する講義を1時間でするのは不可能に近いので、本日はみなさんに著作権法という法律の考え方について、ふたつのルールを持ち帰っていただきたいと思っています。
ひとつめが、著作権は、アイディアやコンセプトには発生せず保護しなくて、アイディアやコンセプトが具体的に表現になった時点ではじめて発生し、それが保護されるというルールです。
かつて、ビヨンセがプロジェクションマッピングを使ったライブ演出でもパクリ疑惑が出たんですが、プロジェクションマッピングという手法自体は、アイディアか表現かという二分論でいくと、アイディアです。プロジェクションマッピングという手法自体には著作権は発生しません。ただ、具体的にプロジェクションされた映像等の表現が似ていれば、それは表現の同一性・類似性があるということで、そこではじめて著作権侵害になりうるわけです。ただ、アイディアか表現かのその境目について判断が非常に難しいものがあるので、いろいろ問題になるわけですね。
ふたつめのルールは、著作権はありふれた表現は保護しないということです。これはどういうことかというと、アイディアとかコンセプトではなく、具体的な表現となったものでも、誰がやっても似た表現になってしまう表現については著作権が発生しないということです。著作権法の分野では『選択の幅がない表現』という言い方をすることもあります。例えば、“ありがとう”や“こんにちは”など誰もが使う言葉に著作権を発生させてしまうと、我々の一般市民の生活が非常に不自由になってしまいますし、新しいクリエイティビティが生まれてこなくなってしまいます。法律もそういうふうに考えているわけです。
なぜ、ありふれた表現を保護しないかというと、知的財産法というのはある特定の人に情報を独占させる権利であり、必ずその裏には、「その表現を特定の人に独占させていいのか」という視点があります。本来、情報というのは誰もが自由に利用できるべきという考え方があって、著作権を含む知的財産権というのはみんなの生活が自由になるように作られているはずです。これはインターネットが普及して以降、ますます重要な考え方になってきていると思います。ただ、その一方で、20世紀後半以降の、ある種の権利者の人たちが、自分たちの経済性を守るために独占性を強めてきたというのが、僕の知的財産全般に関する見方です。
だから、パクリ疑惑というような話が話題になることも多いですが、その裏で、本当にその表現をこの人に独占させていいのだろうか、そういう類の表現なのだろうかと問いかけができると、表現に関わる人間としてより本質的な問いになると思っています。
著作権に関する契約におけるふたつのルール
―実際に著作権に関する契約が行われる際に注意したい点や、海外の事例についても紹介してくれました。
水野:ひとつめは、著作権というのは、特別な合意がない限り、クリエイター側に発生するということです。もちろん、ありふれていない表現であるという前提ですが、著作権はクリエイターにあるということに自信を持ってもらいたいです。ビジネスでは、当然のように著作権の譲渡を押し付けてくる人が出てくるかと思います。ただ、法律の仕組みとしてはそうなってない。だから、もし著作権を譲渡する場合には対価が正当か等、慎重に判断しましょう。
ふたつめは、著作権を譲渡しない場合には、きちんと利用を許諾する範囲を明確化しておく癖をつけましょう。著作権を譲渡してしまった場合には、その後作品がどのように使われても基本的には文句を言うことはできませんし、二次利用の対価も得られません(譲渡はそういうことも考えて対価を考えなければなりません)。でも、譲渡しない場合には、作品の利用許諾を行うことになりますが、その作品を利用してよい範囲を明確にしておかないとトラブルになりやすいです。
例としては、ゆるキャラの「ひこにゃん」。クリエイターがキャラクターを作った際には、パンフレットやウェブサイトのキャラクターとしては使ってもいいという話になっていたのですが、着ぐるみやグッズ化に関する合意があるのかが裁判の争点になりました。
日本の話をしましたが、少し海外に目を向けましょう。
リチャード・プリンス(Richard Prince)がパトリック・カリュー(Patric Cariou)という作家の写真をそのままアプロプリエイション(盗用する)している現代アート作品があるのですが、その著作権侵害に関する裁判がアメリカで行われています。まだ判断が確定していない部分もありますが、いまのところ裁判所は、作品ごとにリチャード・プリンスの多くの作品について「フェアユース」に該当し、著作権を侵害しないという判断をしています。
どういうことかというと、アメリカでは「フェアユース」という考え方が法律で規定されています。法律というのは、すべてを予定することができないために、技術の発展や未来に何かが起きた場合にフェアな利用であれば著作権侵害にならないということをあらかじめ法律に入れています。このような包括的な規定は日本にはありません。
リチャード・プリンスはしょっちゅう裁判になるのですが、必ず裁判でフェアユースを主張します。その時に重要な概念となってくるのが、「transformative」かどうかという概念です。日本語で言うと「変容的かどうか」という意味なのですが、ざっくり言うと、他の作品をコラージュ、カットアップ、アプロプリエイションして、新しい別の意味を付加して自分の作品として昇華できているかということです。アメリカでは、プリンスの作品のなかでフェアユースであると判断された作品とそうではないと判断された作品とで、その違いはなんだ?という議論がアート界だけでなく、法律界でも活発になされています。しかし、プリンスの作品は日本でこれをやってしまうと、著作権侵害と判断されてしまうでしょう。
―では、具体的に、クリエイターはどのようなところに気をつけるべきなのでしょうか。
水野:制作の後に、著作権譲渡の契約書がきたとします。さっきも言ったように、クリエイターに著作権が生じているはずなので、この契約書は交わさなければクライアントである企業や代理店はその作品を自由に使えなくなってしまいます。クリエイターとしては、著作権の譲渡をその金額でしていいものかどうかを考えなくてはいけませんね。あとはクリエイターの方が注意しないといけないのは、生活していると無意識的に様々なクリエイションに影響を受けていると思うのですが、そういう影響についてどれだけリスクヘッジして、自分の表現としてアウトプットしていけるかという点もあると思います。
あと、取引先が契約書をPDFデータで送ってきたら、みなさんは即座に破り捨ててください(笑)。というのは大げさですが、契約書というのは本来お互いの合意事項を反映させて、修正して、一緒にデザインしていくもののはずです。PDFを改変できる技術があればいいんだけど、修正履歴が残せるWordなどのファイルでもらうようにしましょう。
また、最近だとウェブサイトにポートフォリオを掲載したいという人がいると思います。みなさんがやりがちなのが、よくわからないけどウェブポートフォリオに掲載して、クレームがきたら削除しようくらいに考えていること。それよりも、契約書の段階で自己使用目的・宣伝広告目的なら自己使用してもいいと契約書に残しておくことが大事なのかなと思います。契約書を交わすことがハードルが高いという場合には、今はメールなどの便利なツールがあるので、そういうもので客観的にエビデンスを残しておくことがトラブルの予防に役立ちます。
法律というのは基本、性質として後追いしかできないんです。特にインターネット以降、現実と法律の乖離というのがますます進んでいます。クリエイターは、そこに生じる揺らぎとか解釈のゆれというものを利用してものづくりをしていく可能性があると思うんです。それを考えていくのはおもしろいテーマだと思います。整理のつかない問題は日々生まれきていて、ぼくもそれをみなさんとともに一緒に考えていきたいと思っています。
―次回はアーティストの小松宏誠氏とアニメーション作家の水江未来氏に登壇いただいた第二部の様子をお届けします。