第18回文化庁メディア芸術祭のエンターテインメント部門で作品『妄想と現実を代替するシステムSR×SI』が審査委員会推薦作品に選出された市原えつこさん。今回採択されたのは、『デジタルシャーマン・プロジェクト』(仮)というリサーチ&アートプロジェクト。科学技術の発展を遂げた現代向けにデザインされた新しい祈りや葬り方のかたち、日本人特有の生命や死の捉え方を提案・探求していきます。

市原さんのアドバイザーを担当するのは、編集者、クリエイティブディレクターの伊藤ガビン氏とNTTインターコミュニケーション・センター [ICC] 主任学芸員の畠中実氏です。

死後も生命を残すものを作りたい

―これまで、『セクハラ・インターフェース』などセクシャルな作品を制作してきた市原さん。もともとは、日本の八百万の神のような神道系のおおらかな世界観に興味を持ったことが作品制作のきっかけになったそうです。今回採択された『デジタルシャーマン・プロジェクト』(仮)についても同様の意識を持っているようです。

市原えつこ(以下、市原):この『デジタルシャーマン・プロジェクト』(仮)を端的に言うと、日本的な死生観と現代のテクノロジーの接続を探るということです。死後もソーシャルメディアに放流されている故人の記憶や記録を組み合わせて、私がいま「イタコプログラム」と呼んでいる擬似的な生命を、「Pepper」などの家庭用のロボットに宿らせることを想定しています。

今回の面談までに、様々な葬儀の様式について調べました。葬儀や死を中心にする仏教的な営みは、死後の世界を中心とした現世における禁欲的な世界観なのですが、おおらかな、日本の神道のような世界観が作品のベースになるのではと感じました。選考時の提案資料では「死」や「葬儀」がテーマのようになっていますが、どちらかというと新しい生命の形を作りたいと思っています。日本は、生命のあるものとないものを明確に分けない文化があります。こういったメンタリティを使って、死後も何かしらの生命らしさを残すものを作りたいと思っています。

どのような感情を喚起させるか

伊藤ガビン(以下、伊藤):市原さんの作品はすごく面白いんだけど、その面白さは下手をすると「お笑い」に見えたりしますよね。本人にとっての今作の成功のビジョンを聞きたいなと思っています。そのビジョンによってアドバイスの内容が変わると思うんです。例えば、亡くなった人がかつてSNSでつぶやいていたことの再現って、botで容易に実現できてしまっているじゃないですか。僕は今回はそういった言葉に重きを置くのではなく、肉体を持ったすごくパーソナルな「モノ」でいいんじゃないかと思っています。感覚としては、壊れたAIBOのお葬式をやっちゃうことに近いのかもしれません。

市原:仰るとおりで私のコンプレックスでもあるんですけど、私の作風は人を笑わせる方面にいきやすいんです。今回は違うテイストに挑戦してみたいと思っています。

畠中実(以下、畠中):この作品は結構デリケートなことを扱うし、なかなか笑えないですよね。誰にとっても身近な存在であればまだしも、誰もが知っているわけではないけど、その人がいないというリアリティがある中で、今作の実験を実際にやるとすれば、ある種一線を飛び越えている感はありますよね。だから、そこでなかなか笑いは引き出せないですよね。

市原:何かしらの感情は喚起させたいなとは思っていますが、それがお笑いなのか、涙なのか、怒りなのかはまだ整理できていない状況です。

畠中:最初は微妙だった遺族が、最終的に笑うことになればいい話にはなりますよね。ただ、結果を先に知ることはできない。このようなテーマを作品にする人は増え始めていると思いますが、実際には実現されない場合が多いのではないでしょうか。たとえばメディアアートやクリティカルデザインで行われていることは、一種のフィクションを通じて、新たな視点や仮説としての批評を提示することが多い。この企画で、実際にそれを社会実装したら、そこが大きな違いになりますよね。そうすることで、作品で扱われているテーマがもうちょっと身近なことになるのだと言えるんじゃないですかね。

『妄想と現実を代替するシステムSR×SI』第18回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門 審査委員会推薦作品

焦点を定めるために

伊藤:どのようなアウトプットになれば、最もうまくいった状態と言えますか。

市原:純粋な「作品」におさまらず、いわゆるシリコンバレーのスタートアップがやるような新しいサービスのあり方、テクノロジーのあり方みたいなものを提示できると、それが一番うまくいったパターンだと思います。

畠中:それが、本当に亡くなった人その人だと思えるくらいの言葉をネットに残しているか、というのが重要じゃないですか。本当に実験できるほどのデータを持った死者がいるのかどうかという話ですよね。データが揃ったとして、実験を実現する可能性ということと、あるいは揃わなかったとして、この作品自体がどのような形で完成されうるかというのを設定しないといけないですね。

伊藤:本当に知能が必要かという問題もありますよね。形だけあればいいのかもしれないし、形と何かアクションがあればいいのかもしれない。例えば、天寿を全うしたおじいさんが亡くなった場合と、若くして自分の子どもを亡くしたというのでは全然ケースが違う。子どもの場合は生きていたら10歳になっていて、今だったらきっと友達とこう遊んでいただろうと架空の人生とともに歩むということだったりする。おじいさんとかおばあさんの場合は、どちらかというとbot的に「そうそう、こういうことを言っていたな」と思い出すみたいな感じになる。死者のあり方って年齢とか自分との関係によって担う役割が違うんですよね。一概に死者と言ったときにどんな死があるか。

市原:そうですね。どういう類の死を扱うかというのは明確化したほうがいいかもしれません。あと、来年2月を完成の目標として、どれくらいのものを想定しているのかを仕様設計も含めてもう少し具体化したいと思います。あと、今やらないといけないことは協業してくれる人を探すことですね。

伊藤:最終的にどういうことをどういうふうに語りかけているのか、が重要なので、人工知能がそもそも必要なのか?とも思います。

市原:言葉というアウトプットが大事なのか、ビジュアル的なものなのか、アルゴリズム的なものなのか。方法はいろいろありますね。

伊藤:「気配」かもしれないですしね。忘れていくという過程をうまくデザインしていく、開放してあげることをやったほうがいいのかもしれないし、そうじゃなくて、いつまでも一緒に、失ったことの傷を癒し続けるみたいな寄り添い方が必要かもしれない。どのような状態が一番いいのかを考えたほうがいいですね。

畠中:まだ焦点が絞れていないから、どこかにフォーカスを合わせないといけないかなと思います。

―9月中旬に行われる次回の面談までにリサーチなどを進めていくという市原さん。リサーチを経て、作品が具体性を帯びていくことを期待したいと思います。