文化庁メディア芸術祭で『国連安保理常任理事国極秘会議』が第9回アート部門審査委員回推薦作品に、『Sagrada Familia 計画』が第10回アート部門奨励賞に選出された林俊作さん。今回採択された企画は、『Animated Painting / Painted Animation』(仮)というアニメーション/平面作品です。絵画と映像の中間で流れる異なる時間性に着目し、横軸で時間が進行する絵画作品を制作、その素材を基にアニメーションを制作。ANIMATE (生命を吹き込む) するという広義において絵画もまたアニメーションの領域内に含まれうるという視点から、絵画の在り方/現代アート作品としてのアニメーションの在り方を検証していきます。
林さんのアドバイザーを担当するのは、アニメーション作家の野村辰寿氏とNTTインターコミュニケーション・センター [ICC] 主任学芸員の畠中実氏です。
絵画とアニメーションの関係性
林俊作(以下、林):とりあえず10m×1mのキャンバスを作って作品を作り始めたんですが、やってみると絵画とアニメーションの関係性についてもう少し考えた方がいいと思ったので、構想を練り直しながら作業を進めています。人が登場するとアニメーション的になりすぎてあまり面白くないと思ったので、人を出さずにストーリーが成立するようにしたいと考えています。企画書では「電車の中を住居とした世界」を描くとしていましたが、そのまま電車をモチーフにするかどうかも考えながら作るつもりです。今のところ、まず電車内をモチーフにして絵画作品を制作してから、アニメーションのストーリーを物語る要素として、車窓に流れる景色と車内にあるオブジェクトの動きを重ねていくことでアニメーションにする予定です。
「10mの絵画」の意味合いを考えていたのですが、最初は、左から右にタイムラインがあって、アニメーションも同時に進んでいくのが面白いのではないかと思っていたのですが、いわゆる絵巻物みたいな考え方だとあまり面白くならない気がしています。予定では、まず3ヶ月かけて巨大な絵画を制作し、その後、その絵画を高精細なスキャンでデータとして保存をします。そして、その絵画の上からアニメーションの動きを足していきます。その中で、絵画が絵画作品としての完成形よりもどんどんつぶれていきます。絵画が出来上がってからアニメーションを重ねるプロセスを経て、「崩れたあと」のようなものを作るとしたら、絵画を最終的にアニメーションの証拠品という感じで残せるのではないかと思っています。そういう捉え方をすれば、動画を見た後に絵画を見る/絵画を作った後に動画を見る、というのが、ただのタイムラインよりも関係性ができると思っています。
絵画とアニメーションのどちらを本作品にするか
畠中実(以下、畠中):選考の時の面談で話を聞いていて思ったのは、絵画/アニメーション両方とも作品だなと思ったんですね。絵画の制作過程+絵画で表現しきれないものを映像化していくというアイデアだったと認識しているんですけど、そうしたときに頭の中にあったのが、ひとつは「モーションペインティング」という考え方です。描かれる過程がアニメーションとしても実現されているということは、時間軸は映像でしか残らない。絵画は最終的に表面に残ったものでしかなく、制作過程にあった時間軸は消されてしまう。今回の企画はその描いている過程も同様に作品化して見せられないか、というアイデアですね。
もうひとつは、例えば窓の外に風景が流れていくことを絵画で表現したいが、絵画では表現することが難しいということと、最終的に絵画として出来上がったものに時間を与えたい。そういうふたつの考えがあって、そのどちらも表現として大切にしていると感じたんですよね。ただ、いまのエスキースを見ていると、どちらを本作品として残したいと思っているのかが曖昧だと感じました。もう少し絵と映像のどちらもが同じところから始まって、分岐していった2つの作品だと言えるようなものにならないかなと思いました。
林:構造となる絵画のままでずっと動かない部分と、アニメーションになると動き出すところがあるんです。その構造部分を絵画として見せる形で制作していくと、たとえ、アニメーションを経て崩れたあとの絵画においてムラがあったとしても、迫力は出せるんじゃないかと思っています。それと、車窓を合成するというのは、もともと電車に乗ったときに窓のフレームの中の世界が、まるで合成されたような空間だと感じたことから考えついたアイデアです。車窓の部分は絵画にはせず、窓には何も描きこまないつもりです。ここはあとで合成することに意味が出るのではないかなと考えています。
動きだけで物語を描けるか
野村辰寿(以下、野村):ナラティブなアニメーションを、人を登場させずに描くと言っていましたが、風景だけでストーリーを描くのはなかなか難しい気もします。本当にモチーフとして車内の風景だけで成立するのかどうか。テーマから何を描けばいいのかというところの突っ込みがまだ足りない気がしますね。
畠中:そうですね。伝え方は難しいと思っていました。新しい手法を作ると手法が語ってしまう。そのためには対象物は必要なんですけど、語ることに頼りすぎないでどうするかが大切だと思うんですよ。
林:なぜ人を描きたくなかったかというと、まさに今回そこに挑戦してみたいと思っているからなんです。アニメーションには主人公などの何かが必要になってくるということに挑戦したいという気持ちがあり、ものの動きだけで何かを語れないのかということをすごく考えているんです。
畠中:もちろん語れると思います。つまり、主観の映像ということですから、主観で見ているという形にすれば人を出さなくても語ることができますよね。
計画とアドリブのバランス
畠中:画面は10mかつ単一の画面であり、そしてモチーフが電車であるとなったときに考えられる見せ方は、自ずと「スクロールする」ということになると思うんです。そうすると、見せ方や内容の半分くらい決定されてしまうと思うんです。そのように自然と見せ方が導かれてしまうものに対して、どのようにに応えるかというところも気になります。
林:そうですね。そこは正直にスクロールでやろうと思っています。スクロールから始まってどうするかを考えていて、それが長いペインティングを描く意味でもあると思っています。
野村:セットアップするモチーフを色々探っていて、その中から何を抽出して、どの手法を選んで、テーマを絞りこんで、そこに対してどんな攻めをしていくか。イメージスケッチからなんとなく伝わってきますが、形の新しさをどこに作るのかも必要なんじゃないかと思います。おそらく林くんがやろうとしているのは、「有機的で不定形なものをどう定着させるか」ということだと思うのですが、それを形にする作業と向き合わないといけませんね。まだ今は選択肢がありすぎるので、これから何を抽出するかを聞きたいです。アドリブ的にドローイングするのか、もしくは完成に向かってドローイングするのかでも全然違ってきます。アニメーションはある種の設計図のある作業だと思うのですが、林くんの作品はその形ではないとも感じています。
林:アニメーションの設計図は描きたくないと思っています。僕はアニメーション作品を作りますが、ひとりで作業をしているのでそこまで必要ではないと思っていました。また、なぜ高精細なスキャンをしたかったかというと、細部を通常の撮影よりも細かくみせることで、アニメーションに絵画の質感を入れていきたいと思ったからなんです。
畠中:最終的なプレゼンテーションのフォーマットは決まっていますか。
林:最終的なフォーマットはまだ決めてないのですが、ものすごい横長のフォーマットの映像と、16:9でトリミングした映像の2つを作ろうと思っています。映画祭に出すときはアニメーションとして出せる16:9で出して、長いフォーマットのものは展示形式などの見せ方で利用するという考えです。まず長いフォーマットのものを成立する作品にします。もともと僕の制作はアドリブ的なスタイルなので、そこを崩して計画性を出してしまうとそれこそ自分で作っていて面白くないし、普通の感じになってしまうんじゃないかなと思ってしまいます。
野村:計画性を強いているわけでもないので、その作風と狙いでいいと思うんです。ただ、大きな着地点と形は作っておかないと作業が進まないから、次のステップとしてはそこを考える必要がありますよね。
―9月下旬に行われる中間面談までに、絵画とアニメーションの制作を進めていき、より具現化させていきます。