インディペンデントアニメーションを制作している矢野ほなみさん。文化庁メディア芸術祭では、『骨嚙み』が第25回アニメーション部門新人賞を受賞。同作品は第45回オタワ国際アニメーション映画祭で短編部門グランプリを受賞するなど海外で多数の受賞歴があります。今回採択された『その牛、えり』(仮)は、『ほかに誰がいる』(著:朝倉かすみ、幻冬舎、2008年)を原作・原案とする劇場用短編アニメーション作品です。人間ドラマを牛たちの世界に置き換え、牛たちによる愛することの狂気と痛みを描きます。

アドバイザー:森まさあき(アニメーション作家/東京造形大学名誉教授)/山本加奈(編集/ライター/プロデューサー)

原点に戻って考える

―作品のビデオコンテを見て進捗を確認しながら面談が始まりました。

矢野ほなみ(以下、矢野):初回面談後は、脚本や全体の構成に悩みました。というのも、牧場にいる牛たちのことを考えると、まず乳牛としてそのほとんどを雌が占めることから、そもそも女たちの社会であることが浮かび上がります。産まなければ存在していけない、人間がそれを負わせていることも。その牛たちのことを第三者の視点から客観的に描こうとするとき、ジェンダーについて考えることは必然であるように思えました。その一方で、原作の持つある種の狂気、そしてそこにユーモアさえ同居する質感を捉えるためには、それらとどう向き合っていけば良いのか。そこで、例えば年齢の設定を変更したり、牛たちの生活を通してその背後にある人間の営みを描くことなども考えました。しかし、観察や描写の積み重ねで描くアニメーションの豊さを忘れて、ちょっと頭でっかちな、どこか視野狭窄に陥っている窮屈さがありました。構造で何か描けると思っている自身の傲慢さのような。
そこで、なぜこの作品を作りたいと思ったのかという原点に立ち返ろうと思いました。牛が牛をとってもとっても好きになること、そして主人公「えり」そのひと(牛)を描くこと、それらを通して何がどこまで描けるのか、そういうことに挑んでいきたいです。
2022年10月末には調査で岩手県のなかほら牧場に行き、紆余曲折を経ながら徐々にかたちが見えてきました。

山本加奈(以下、山本):エンディングのイメージも見えてきたとのことで、作品の内容を詰めていく上で濃密な3ヶ月だったことがうかがえます。牛の視野を取り入れたアングルをビデオコンテで拝見し、実際に牧場に行ったことの成果が盛り込まれていると感じました。

森まさあき(以下、森): 牧場に行って、新たな発見があったのがとても素晴らしいことだと思いました。牛の言葉が分かるような気がしたと。いいですね。牛の気持ちに近づいたのではないでしょうか。

色数を抑えた表現を要所で使う

矢野:牛の見ている世界はどんな色彩だろうと調べていくなか、その色感覚は2色覚(*1)なのではないかということにあたりました。主に青色と黄色で構成されるタイプではないかと。当初はその色味を取り入れることも考えていましたが、現地で取材を行うなかで考えが変わりました。私は海育ちなのですが、岩手の山奥のまさにイーハトーブの景色(*2)を見るなかで、本作の舞台を想定している山地で暮らす牛たちが普段見ている光景を描き出すには色が必要だと感じました。紅葉や星、草木の色、芝の色、さまざまな色があり、「牛はこの色を見ている」と勝手に限定してないけないと思いました。なので、作中にもさまざまな色を取り入れていきたいと思います。

山本:牛は自然の一部のようなイメージがあるので、豊かな色彩で描かれると安心感があります。もともと予定していた色数を抑えた表現も、アクセントとして使えるのではないでしょうか。

矢野:主人公(えり)が、他者を想うときはイメージこそ大事だと、念じることを訓練するシーンがあるのですが、色彩などの技法を大きく変えたいと思っています。白と黒を頭の中で抽出して、絵の具をかき混ぜていくような画面になります。この描写は原作にあって、その描写をアニメーションで取り組んでみたいです。うまくかき混ぜるには水(=主人公の「心」)が必要で、その水はピュアなものでなくてはならないので、邪念を捨てるために主人公がイメージを持つ鍛錬をします。そういったシーンは色数を抑えて描くと思います。

森:色数を抑えた画面が長く続くと鑑賞者は物足りなさを感じてしまうかもしれないので、主人公が自分の気持ちを強く押し出す場面などにポイントを絞って使っていくといいのではないでしょうか。内容に関しては、主人公がまだ若くして悩んでいるところがいいと思いました。恋が成就するかどうかが分からなくても、若いので希望が感じられると思います。未来に対して、希望が持てるような終わり方をしてほしいです。

山本:ジェンダー問題などは、あえて表立って取り組まなくても作品の中から滲み出てくるものだと思います。初回面談では、使用する音楽についてジャズかロックかと悩んでいましたが、そのあたりはまとまってきましたか?

矢野:まだ具体的なイメージはできていませんが、作品の心情を考えて選択したいと思っています。

*1 2色覚……赤、青、緑の3種類の視細胞のうち、どれか一つが欠けていること。
*2 イーハトーブの景色……詩人・童話作家の宮沢賢治(1896〜1933年)による造語。宮沢の心象世界にある理想郷を指す言葉。岩手県をモチーフにしたとされている。

牧場での調査を作品表現に活かす

―牧場で撮影した牛の視点での360度映像を見ながら、話を進めました。

矢野:牛の視野で牧場を歩いていくと、正面に現れたものが真ん中で分かれて外側に行ったり、次の道が両脇から見えてきたりするところが興味深いと感じました。この映像をアニメーションに取り入れられないかと考えています。トレースではなく、アレンジしながら取り入れていく予定です。

森:ずっと画面が動いていると鑑賞者は疲れてしまうので、どこかで視点が止まって一息つけるようなシーンもあるといいのではないでしょうか。ビデオコンテであったような、主人公の目に花びらが止まるシーンなどは大事にしてもらいたいです。

主人公の目に花びらが止まるシーン(ビデオコンテより)

山本:重要なパーツが揃ってきた感じがしますね。次に牧場に行く際は、どのような調査をする予定ですか。

矢野:(そもそも人から牛にしている時点で大きな改変ではあるのですが)原作との大きな変更点として、主人公のえりが、爽(さわ)という名前の雌牛を絶対他者として心を寄せること、そのモチーフの一つを星空にしています。
取材の際、秋の星空に心を打たれていたら、牧場長に真冬の方がもっときれいだと教えてもらいました。その美しさは、怖いほどだそうです。えりはその景色を知っていて、そこに身をおいて爽を思っている。なので星空は絶対に見たいと思っています。
また、作品のクライマックスが雪山なので、山の見え方、冬の牛たちの暮らし方などを調査したいです。一面が白銀の世界である雪山では、実際に牛が滑落して死んでしまうことがあると聞きました。冬の牛たちの経験や感覚質を理解しようとしたい、そして描写したいです。

山本:牧場の調査で得たことをアニメーションに活かすことで、壮大な自然の風景と、主人公のごく個人的な狂った感じとのコントラストを出していけるのではないかと感じました。

―今後は、アニメーションの実制作を進めながら、成果発表に向けて予告編もつくっていく予定です。