数万、数十万の針を板上に林立させ、それを手前に引き出したり、奥に押し込むことで生まれた画面を撮影し、独特のグラデーションを表現する描画装置・ピンスクリーン。アレクサンドル・アレクセイエフと、彼の妻クレア・パーカーによって開発され、アレクセイエフは『禿山の一夜』(1933)をはじめとした作品でアニメーション史にその名を残すことになりました。2025年に国内初の本格的なピンスクリーンによるアニメーション『REST』を完成させた宮嶋龍太郎さんは、より豊かな表現力を求めて、新たなピンスクリーンの開発に取り組んでいます。今後の制作について、アドバイザーとディスカッションが行われました。
アドバイザー:米光一成(ゲーム作家)/若見ありさ(アニメーション作家/東京造形大学准教授)
初回面談:2025年10月2日(木)
理想的なグラデーションを目指して
わずかな誤差がクオリティに影響するピンスクリーン
宮嶋さんは現在、国産の次世代ピンスクリーン開発、およびそれを使用したアニメーション制作に取り組んでいます。すでに10万本のピンを持つピンスクリーンを宮嶋さんは持っていますが、今回は60万本程度の針を差し込んだピンスクリーンを国内で開発し、アニメーション作品『RETURN』を制作予定です。
なぜ新しい装置の開発から制作を進めなければならないのでしょうか。宮嶋さんは自身が保持するピンスクリーンで新作の場面をテストした画像をアドバイザーに見せます。「『RETURN』のキービジュアルを現行のピンスクリーンで描いてみたのですが、顔の表情がうまく表現できませんでした」と話します。宮嶋さんが好む細い線は、今使っているピンスクリーンでは実現できないとのことです。
グラデーションもピンスクリーンの魅力です。宮嶋さんは理想的な諧調を得るために、1977年製のオリジナルとそのレプリカを比較した実験も行いました。オリジナルとレプリカでは72ミクロン(0.072mm)穴の位置がずれているため、きれいな陰影が生まれないのではないかと宮嶋さんは推測します。では穴の誤差は、どの程度まで小さくしなければならないのでしょうか。宮嶋さんはソフトウェアを使ったシミュレーションを行い、25ミクロン以内の誤差に収めるときれいになることをつきとめました。
計画の進捗について宮嶋さんは「精度の良い針を広島で作ってもらっています。ピンを差し込む装置部分は、どこに発注するか何社か見積もりを取る予定です」と報告を行いました。

ワークショップの可能性を考える
ピンスクリーンの開発にあたって、宮嶋さんは60万本の針を入れる作業が懸念のひとつであり、アルバイトを募集する予定だと話しました。それに対してアドバイザーの若見ありささんは「ギャラリーとかで公開制作として、子どもや希望者に手伝ってもらうのはどうか。アニメーションに関心のある人なら国産のピンスクリーンの制作に参加したいという人も多いと思う」と提案します。宮嶋さんは一度そのような方向も検討したが、作業の難易度的にそこは慎重に考えたいと話します。ただ、一般にピンスクリーンという技法を開いていくことについては次のように語ります。
「ピンスクリーンに関するワークショップも最近は行っています。やってみると、やはり芸術に関心のある人や関係者に興味を持ってもらいやすい状況です。ただお子さんなんかは、一度触るととても楽しんでくれます。装置の魅力だけでどこまでやれるのかという可能性についても今後考えていきたいと思っています」。

新作『RETURN』について
そして宮嶋さんは、制作予定のアニメーション『RETURN』の制作について説明します。「当初墨絵で制作予定でしたが、ピンスクリーン研究を始めたことや、物語との相性も良いことから、ピンスクリーンで制作することにしました」。また、遺伝子改造を重ねた人類が原点回帰するように、海底の遺構に存在する受精卵を探すことから始まるSF作品の制作背景について説明を続けます。
「人工的なものから自然へ、あるいは自然から人工的なものへと揺れ動く様が作品のテーマです。2018年には中国でゲノムが編集された赤ちゃんが誕生したという報道が流れました。こうした不可逆的な生命への介入は倫理的な問題ではあるんですが、この方向性で人間がどんどん改造されていった先の未来に、元の人間に戻ろうよという考えが生まれてくるんじゃないかと思うんですね。
また、僕は1歳から19歳までをインドネシアのバリで過ごしたんですが、そのときに、それほど都市化されてない場所からまた都市化された日本に戻ってきました。そういったことも関係しているし、技法的にも、デジタルなアニメーションから制作を始めた自分が、墨というアナログ表現に取り組み、そして今はピンスクリーンというデジタル的な側面のある表現に戻っている。そういった複数の意味がこの『RETURN』というタイトルには込められています」
1930年代に発明された唯一無二のアニメーション技法であるピンスクリーン。その装置の繊細さにアドバイザーの米光一成さんは「聞けば聞くほど大変そう」と驚きますが、成果発表に向け励まします。面談では他に現代にピンスクリーンを継承するミシェル・レミューの話題や、共同開発者であるフランスのピンスクリーン工房のアレクサンドル・ノワイエさんとの連携など有意義な情報交換がなされました。

→NEXT STEP
ピンスクリーンの発注を行い、所持しているピンスクリーンを使って『RETURN』のコンテの半分程度を描き、完成イメージを明確にする